子供とゲーム・メディアの危険な関係

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筆者とゲーム -1-

ここで、私の世代がどうゲームに関わったかをお話します。

私は3人姉妹の2番目で1975年生まれ、姉と妹も70年代の生まれなので、まさに第一次ファミコンブームの世代なのです。

私たちが初めて電子ゲームに触れたのは、私が小学校に入った頃だったと思います。

懸賞か何かで当てたゲームウォッチ「マンホール」で遊んでいたのですが、3人で1台のゲーム機をシェアしていたので、一人当たりがやれる時間は限られていました。

私たちが小学校の時分にファミコンが発売され、私たちの学校でも「ドラクエ事件」を引き起こした男の子がいたと思いますが、あまり覚えていません。

私たち3人も、やはりファミコンを欲しがりました。

特に「スーパーマリオ」が発売された時には欲しいという気持ちがピークに達し、ついに買ってもらったのだと記憶しています。

ところが、これも3人でシェアしなくてはなりません。

しかも当時テレビがあったのは、居間と母の部屋だけでした。

それで私たち3人は、時間を決めて、母の部屋でファミコンをしていたように思います。

勿論、楽しみました。

特に私が一番上手かったので、のめり込む傾向にあったと思います。

しかし、私たちがゲームをやることで、親が目くじらを立てることもありませんでした。

約束の時間を守り、ゲーム以外のことも楽しんでいたので、親としても、ゲームに関して、特に危惧するようなことはなかったようです。

筆者とゲーム -2-

昔から、テレビゲームには女の子より男の子のほうがのめり込みやすい、と言われています。

そして、私は男兄弟がなく、女の子3人でファミコンで遊んでいただけなので、そういう意味では、全体的にそののめり込み方は過剰にはならずに済んだのではないかと思います。

中学に入り、更に高校に進学し、徐々にゲームの存在は忘れていきました。

姉も妹もそうだったと思います。

ゲーム機がそのうち古くなり、故障してしまったのですが、だからといって新しいものを買ってもらいたいとは誰も思っていませんでした。

世の中を見ると、ファミコンがスーパーファミコンに進化し、ゲームボーイが登場し、ゲーム市場がますます若者の心を捉えていた時代の話です。

その時期、私たちは、全くゲームに関心を示さなかったのです。

むしろ思春期に入り、家にいることがイヤだと思うようになったので、私の外出の機会は増えたように思います。

少なくとも私の場合、思春期にはバイト仲間と遊びに行くことが、ゲームよりも大きな楽しみになっていたのでしょう。

第一次ゲームブームを一応はそれなりに楽しみ、しかし結局は、そこから自然に身を引いてしまっていました。

何よりも、外でやりたいことがある、という気持ちが大きかったのではないかと思います。

そしてそれは、私の姉妹も同じであったようです。

我が家から、いつしかファミコンは姿を消しました。

筆者とゲーム -3-

私や姉たちにとって、ゲームというものは単なる一過性のブームに過ぎず、一度熱が冷めると、もう見向きもしなくなりました。

私が20歳になり、贈り物でゲームボーイをもらったことがありました。

90年代に流行った「テトリス」というソフトがついていて、それにはほどほどにハマりました。

しかし、ゲーム機は結局、泥棒に入られた時に盗まれてしまいました。

その時の私は、ゲーム機よりもカメラを失ったショックのほうが大きかったと記憶しています。

またゲームボーイを買おうなんて、考えてもみませんでした。

そのように、ゲームに触れる機会が大人になってもゼロにはならなかったのですが、結局ゲームは「あったら楽しいけど、なくても構わない」程度のものでした。

そして現在に至りますが、私たちの世代だと、思いっきりゲームにのめり込む人と、そうでない人の落差が激しいようです。

私と同世代の女の子の間では、ゲームにはまってどうしようもなくなった、ということがありませんでした。

何故、人をこれだけ虜にする電子ゲームと、そこそこの距離を保っていられたのか?

今の子供と私の子供時代の何が違うのか、ということをこれから探っていきたいと思います。

恐らく、別々の世代同士を比較し、その違いを探ることで、現在のゲーム依存の子供たちの「脱ゲーム依存」の手がかりが掴めるかもしれません。

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